イニシエート・日本人編(その2)
イニシエートリストは覚者がクレームさんに教えた情報を一覧表にまとめたものだが、このリストの信憑性については異論があると思う。私自身は、かなり正確で信用性の高いデータであると思っているが、直観的なものも情報の出所が信頼できるという理由にすぎず、実際に検証して確認する方法がない以上、興味深い仮説として参考にするくらいがちょうどいいのだろう。
もう一つ、このリストが興味深いと思う点は、これまで我々が小さいころから当然のこととして信じ込まされてきたことが、実は違うのではないか、教え伝えられた人物像や歴史が実際は真実と異なるのではないか、という視点を与えてくれるところである。
もう一つ、このリストが興味深いと思う点は、これまで我々が小さいころから当然のこととして信じ込まされてきたことが、実は違うのではないか、教え伝えられた人物像や歴史が実際は真実と異なるのではないか、という視点を与えてくれるところである。
織田信長(0.7)6-1-6-4-7 (1534-1582)封建領主
徳川家康(1.55)2-1-3-6-7 (1542-1616)将軍(封建社会)
誰もが知っている日本の戦国武将の二人。注目すべきは、信長が第1イニシエーションにも程遠いことだ。史実や大河ドラマでは、彼は、やたらにキレやすく、容赦なく焼き討ちしたりと残虐なキャラで有名だが、おそらく真実だったのではないか。彼の段階では、自分の情緒・感情を統御するのはかなり難儀で、環境や周囲からの刺激があると、機械的・自動的に反応してしまったのではないかと想像される。その場合、パーソナリティは運命に翻弄されるだけとなるから、彼は彼のカルマに応じて天下統一の一歩手前で本能寺で非業の死を遂げたことも肯ける。
興味深いのは、二人ともパーソナリティの光線が「力・意志」の第1光線である。この光線は、恐怖心が湧かず、自分の意志を貫き通すという特質である。政治家や独裁者タイプに多く見られる光線であり、戦国武将に最も求められる特質である。
宮本武蔵(0.6)6-6-1-4-7 (1584-1645)侍
高校生のころ、吉川英治の小説に大層ハマった。お通との恋に葛藤しつつも剣の道を選び、今日あって明日なき命を活きる武蔵に大いに憧れを抱いた。彼は剣の達人のみならず、書道や絵画にも精通しており、単なる暴れん坊ではないところにも惹かれた。それ以来、私は武蔵ファン(K-1のじゃないよ)となり、今に至る。当然のことながら、井上雄彦の「バガボンド」はコミックが出るのを楽しみにしているくらいだ。ちなみに、沢庵和尚が一番統一度が高そうで秘かに注目している。
日本人のヒーローといえば、現代ではイチローだろうが、江戸の昔から現代まで脈々と受け継がれているヒーローの一人に挙げられる。
しかし、リストからは、第1イニシエーションに遠い。魂とは接触しておらず、ほとんどパーソナリティに偏極していたことが窺える。つまり、パーソナリティの特質である名声・評判・金銭の獲得こそが人生の目的であり、「剣によって己の名を上げる」ことが彼の人生目標であった可能性が想像される。そして、第6光線が2個あることに着目すると、彼が全身全霊を込めてこの目標と理想に身を捧げていたことが推察される。
第6光線は、前時代つまりパイシスの時代に最も多く流入した光線であり、現代にも第6光線を持った人間は極めて多い。この光線の特質は、「抽象的理想主義・献身」であり、プラスに作動したときには、イエスやマザーテレサのような真の献身家となるが、マイナスの面として「狂信・排他性」という特質を併せ持っている。理想を追い求め、献身的に理想・目標に仕えようとするが、他人の意見に容易に耳を貸そうとせず、しばしば意見の食い違う他人を容赦なく攻撃する特徴を持つ光線である。中東のイスラム原理主義に洗脳されているテロリストたちは、完全にこの傾向にある。
さらに、武蔵のメンタル体は第1光線であり、「力・意志・目的」の特質であることからすると、彼が己の人生目標を実現するために力強く猛進した強固な意志の持ち主であったことが窺える。
加えて、アストラル体は「芸術・美・調和」の第4光線であり、彼が書道や絵画にも精通していたも納得できる。
西郷隆盛(1.5)6-7-1-6-7 (1827-1877)武士
宮沢賢治(2.0)4-6-4-6-7 (1896-1933)作家・詩人
手塚治虫(1.6)6-4-4-6-7 (1926-1989)漫画家
近現代のイニシエートたちだ。いずれも後世に大きな影響を及ぼす功績を残しており、イニシエートの名に相応しい偉人たちだ。
個人的に私が深く影響を受けたのは、賢治と手塚の二人だ。並べてみてわかったが、二人の光線構造がとても似ている点が興味深い。
賢治の作品はちくま文庫からかなりの数が出版されている。彼の作品は「銀河鉄道の夜」をはじめ、ファンタジーな色合いが濃い。シロシビンが常時脳内に分泌されているのではないかと疑うほど彼はとても想像力豊かで幻想的だ。しかし、現実の彼は、まさしく「弟子」と呼ぶに相応しい。彼の「雨ニモマケズ」という有名な詩は、昔に読んだときには正直ピンと来なかったが、あらためて読み返すと、彼のメッセージが弟子道以外の何物でもないことが明らかである。先人にこうした偉大な弟子がいたというのは、本当に心強い限りである。
日本の漫画・アニメは、世界に誇れる文化の一つであり、その完成度・洗練度は思うに世界で群を抜いている。その日本の漫画文化は、あえて誤解を怖れずに言えば、全て手塚漫画のパクリである。日本漫画のフォーマットは、手塚治虫によって出来上がった。そして、彼の作品は時代を超えて決して色褪せることなく、後世に読み継がれるであろうことを私は確信している。名作は数多いが、個人的に必読と思われるのは、「ブッダ」と「火の鳥」。理由はいわずもがなのため、このくらいにしておこう。
進化段階という概念は、多種多様な現象世界を説明するための一つの物差しにすぎず、この概念にこだわると分離・分割という危険に陥るおそれがある。また、老人とちびっ子を比べてどちらが優れているかと優劣を判断することが全くナンセンスなのと同じように、進化段階の違いを優劣として見るのは全くズレていると言っておこう。老人は老人の良さと役割があり、ちびっ子にはちびっ子の良さと役割があり、それぞれ等しく唯一無二の存在であることに変わりはない。
もし、進化段階と光線構造を知りたい3人を挙げよと言われたら、誰を挙げようか。
個人的には、坂本龍馬・桂小五郎・中村天風の3人かな、日本人で知りたいのは。それと日本人じゃないけど最近帰霊したマイケル。
最後に、宮沢賢治の詩を引用したい。彼が意識的に弟子道を歩んでいたことがこの詩から窺い知ることができる。自分を省察するとき、いまだ「道は遠し」である。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい

徳川家康(1.55)2-1-3-6-7 (1542-1616)将軍(封建社会)
誰もが知っている日本の戦国武将の二人。注目すべきは、信長が第1イニシエーションにも程遠いことだ。史実や大河ドラマでは、彼は、やたらにキレやすく、容赦なく焼き討ちしたりと残虐なキャラで有名だが、おそらく真実だったのではないか。彼の段階では、自分の情緒・感情を統御するのはかなり難儀で、環境や周囲からの刺激があると、機械的・自動的に反応してしまったのではないかと想像される。その場合、パーソナリティは運命に翻弄されるだけとなるから、彼は彼のカルマに応じて天下統一の一歩手前で本能寺で非業の死を遂げたことも肯ける。
興味深いのは、二人ともパーソナリティの光線が「力・意志」の第1光線である。この光線は、恐怖心が湧かず、自分の意志を貫き通すという特質である。政治家や独裁者タイプに多く見られる光線であり、戦国武将に最も求められる特質である。
宮本武蔵(0.6)6-6-1-4-7 (1584-1645)侍
高校生のころ、吉川英治の小説に大層ハマった。お通との恋に葛藤しつつも剣の道を選び、今日あって明日なき命を活きる武蔵に大いに憧れを抱いた。彼は剣の達人のみならず、書道や絵画にも精通しており、単なる暴れん坊ではないところにも惹かれた。それ以来、私は武蔵ファン(K-1のじゃないよ)となり、今に至る。当然のことながら、井上雄彦の「バガボンド」はコミックが出るのを楽しみにしているくらいだ。ちなみに、沢庵和尚が一番統一度が高そうで秘かに注目している。
日本人のヒーローといえば、現代ではイチローだろうが、江戸の昔から現代まで脈々と受け継がれているヒーローの一人に挙げられる。
しかし、リストからは、第1イニシエーションに遠い。魂とは接触しておらず、ほとんどパーソナリティに偏極していたことが窺える。つまり、パーソナリティの特質である名声・評判・金銭の獲得こそが人生の目的であり、「剣によって己の名を上げる」ことが彼の人生目標であった可能性が想像される。そして、第6光線が2個あることに着目すると、彼が全身全霊を込めてこの目標と理想に身を捧げていたことが推察される。
第6光線は、前時代つまりパイシスの時代に最も多く流入した光線であり、現代にも第6光線を持った人間は極めて多い。この光線の特質は、「抽象的理想主義・献身」であり、プラスに作動したときには、イエスやマザーテレサのような真の献身家となるが、マイナスの面として「狂信・排他性」という特質を併せ持っている。理想を追い求め、献身的に理想・目標に仕えようとするが、他人の意見に容易に耳を貸そうとせず、しばしば意見の食い違う他人を容赦なく攻撃する特徴を持つ光線である。中東のイスラム原理主義に洗脳されているテロリストたちは、完全にこの傾向にある。
さらに、武蔵のメンタル体は第1光線であり、「力・意志・目的」の特質であることからすると、彼が己の人生目標を実現するために力強く猛進した強固な意志の持ち主であったことが窺える。
加えて、アストラル体は「芸術・美・調和」の第4光線であり、彼が書道や絵画にも精通していたも納得できる。
西郷隆盛(1.5)6-7-1-6-7 (1827-1877)武士
宮沢賢治(2.0)4-6-4-6-7 (1896-1933)作家・詩人
手塚治虫(1.6)6-4-4-6-7 (1926-1989)漫画家
近現代のイニシエートたちだ。いずれも後世に大きな影響を及ぼす功績を残しており、イニシエートの名に相応しい偉人たちだ。
個人的に私が深く影響を受けたのは、賢治と手塚の二人だ。並べてみてわかったが、二人の光線構造がとても似ている点が興味深い。
賢治の作品はちくま文庫からかなりの数が出版されている。彼の作品は「銀河鉄道の夜」をはじめ、ファンタジーな色合いが濃い。シロシビンが常時脳内に分泌されているのではないかと疑うほど彼はとても想像力豊かで幻想的だ。しかし、現実の彼は、まさしく「弟子」と呼ぶに相応しい。彼の「雨ニモマケズ」という有名な詩は、昔に読んだときには正直ピンと来なかったが、あらためて読み返すと、彼のメッセージが弟子道以外の何物でもないことが明らかである。先人にこうした偉大な弟子がいたというのは、本当に心強い限りである。
日本の漫画・アニメは、世界に誇れる文化の一つであり、その完成度・洗練度は思うに世界で群を抜いている。その日本の漫画文化は、あえて誤解を怖れずに言えば、全て手塚漫画のパクリである。日本漫画のフォーマットは、手塚治虫によって出来上がった。そして、彼の作品は時代を超えて決して色褪せることなく、後世に読み継がれるであろうことを私は確信している。名作は数多いが、個人的に必読と思われるのは、「ブッダ」と「火の鳥」。理由はいわずもがなのため、このくらいにしておこう。
進化段階という概念は、多種多様な現象世界を説明するための一つの物差しにすぎず、この概念にこだわると分離・分割という危険に陥るおそれがある。また、老人とちびっ子を比べてどちらが優れているかと優劣を判断することが全くナンセンスなのと同じように、進化段階の違いを優劣として見るのは全くズレていると言っておこう。老人は老人の良さと役割があり、ちびっ子にはちびっ子の良さと役割があり、それぞれ等しく唯一無二の存在であることに変わりはない。
もし、進化段階と光線構造を知りたい3人を挙げよと言われたら、誰を挙げようか。
個人的には、坂本龍馬・桂小五郎・中村天風の3人かな、日本人で知りたいのは。それと日本人じゃないけど最近帰霊したマイケル。
最後に、宮沢賢治の詩を引用したい。彼が意識的に弟子道を歩んでいたことがこの詩から窺い知ることができる。自分を省察するとき、いまだ「道は遠し」である。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい

コメント
No title
Re: No title
おれは吉川英治の武蔵が好きだったから、リストを見て、驚いた。「なるほど、秘教的にはこう来るか~」
という感じw
実は、インドの和尚についても、同じ感想を持ちました。和尚のことはかなりリスペクトしていただけに、リストを見たとき、ちょっとショックで、「リストが間違っているんじゃないか」と疑いを持ちました。
その後、さらに検討した結果、リストのほうが正しそうだ、という結論に至りましたが、和尚の残した偉大な業績と彼の過激なメッセージは、あらためて読み直しても、相変わらず素晴らしく、和尚リスペクトはいささかも変わりません。
という感じw
実は、インドの和尚についても、同じ感想を持ちました。和尚のことはかなりリスペクトしていただけに、リストを見たとき、ちょっとショックで、「リストが間違っているんじゃないか」と疑いを持ちました。
その後、さらに検討した結果、リストのほうが正しそうだ、という結論に至りましたが、和尚の残した偉大な業績と彼の過激なメッセージは、あらためて読み直しても、相変わらず素晴らしく、和尚リスペクトはいささかも変わりません。
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とりあえず、織田信長が天下統一しなくてよかった
パイシスの時代はやがて終わりを迎えるだろうけど、
こうした過去の特質が消え去っていくのを拒む感情
も生まれてくるだろうねw
変化は明日を予想することを難しくするとともに、
それが不安を生む原因ともなるだろうからw
だからこそ、
常に感情に左右されることなくパーソナリティを統御し、
世界を、分かち合いと一体化へと導くべく、
「道」を求め続けていく、粘り強い意思と努力が必要
なのかもしれないねw
さてさて、「道」は遠きなりけり